「今日はいちだんと寒いね」と声をかけてくれたのは、西本マリ子さん。昭和51年から約40年間、この厨房に立ち続けている。どこか懐かしい感じのする佇まいと内装は、創業当時から変わっていないのだとか。カウンターは最大5席。だいだい色の丸い電灯が3つ、優しく店全体を照らす。
「最初はラーメン屋をするつもりやったんよ。でも、油で揚げる機械があれば、とんかつ屋ができるって、ぽんと頭に浮かんだの」。開店当時は近くに市役所や郵便局があって、昼夜問わず、ひっきりなしにとんかつを揚げていたそう。営業が深夜3時にまで及ぶこともあったのだとか。
大人気のとんかつ定食。お米は大分県内の農家から直接取り寄せて、とんかつは豚肉をブロックで仕入れて自分たちで切り分けているのだそう。このひと手間が『にしもと』の価格の安さの秘密だ。
急な階段をそろそろと降りてきたのは夫の光賢さん。これから出前に行くとのこと。「ちょっとすみません」と、カウンター手前にある背の低い扉からすっと外に出て行った。「3坪しかない建物ですから。無駄がないよね」と、マリ子さん。「2人とも何回階段から落ちたことか」と笑う。と、そのとき、ジリリリリリと壁に掛けられた黒電話が鳴り響く。この受話器で、長年お客さんからの注文を受けてきたのだ。
夫婦は約40年間、ここから別府の町の移ろいを眺めてきた。「私が調理と接客をして、お父さんが出前。ずっとこのスタイルを続けているのよ」。かつて界隈は飲み屋街だったこともあって、多様な職種のお客さんが訪れた。昔は休憩中のサラリーマンが多かったけれど、現在は近隣に住む独り暮らしのお客さんも増えたのだそう。「いろんな話を聞いたわね。そりゃあ、いろいろよ。ここからずっと、いろんな人生を見てきたの」と笑う。
その昔、頻繁に通う食べ盛りの男子学生がいた。彼は難聴で吃音症だったが、マリ子さんはそのしぐさで注文を読みとれたという。それから数十年後、1組の夫婦がお店に入ってきた。お茶を差し出すと「まだこの店あったんですね」と旦那さんが言った。「その話しぶりでハッとしてね。あの男の子だ! って」。大人になって上京した彼が、久しぶりに別府に帰ってきたのだ。「まだ店があることを喜んでくれてね。この子が今とても幸せなんだっていうのがわかって、本当にうれしかった」。そうやって、この店に帰ってくるお客さんのために、味も値段も守り続けているのかもしれない。
温かいお茶をすすりながら、とんかつ定食ができあがるのを、耳をすませて待つ。ジュージューと油で揚げる音、包丁でザクザクと切り分ける音。マリ子さんの左手薬指にきらりと光る指輪は、このお店を長い間、夫婦で支え合ってきたしるし。
揚げたてのとんかつに、ほくほくと湯気の漂うご飯。キャベツ、きゅうり、お漬物と、添え物もシンプルだ。マリ子さんの笑顔と素敵なおしゃべりに、お腹も心も満たされる。お会計を済ませると、ちょうど入れ替わるように新しいお客さんがやってきた。マリ子さんに「ごちそうさま」と告げ、次のお客さんに「どうぞ」と席を譲ってお店を後にした。
昔と変わらない素朴なお菓子たち
「べる」と可愛らしい文字で書かれた呼び鈴を鳴らすと、奥からにこにことおばちゃんが出てきた。創業約45年の和菓子屋さん、「亀家」の「棒きんつば」はご主人と研究を重ねた名物お菓子だ。サービス精神が込められたきんつばは、手に乗せるとずっしりと重みがある。

前日から仕込んだ羊羹を手早く生地に浸し、さっと鉄板にのせ、じっくりと焼いていく。焼き目がつく音と、甘い香りがふんわり漂ってくると、慣れた手つきで羊羹を返し、6面とも香ばしく焼きあげていく。鉄板の上のきんつばの立ち姿に個性が見えるのは手焼きの証。

市販の機械だとお店の規模に対して大きすぎるからと、現在使われている機械は、なんとご主人が製作されたものなのだとか。「主人は凝り性で、機械も作っていたの。お菓子を作りながらね」と、懐かしそうに微笑む。亀のようにゆっくりと2人でやっていこうね、とご主人が名付けたお店で、昔と変わらず作り続けられる、素朴なお菓子たち。

手に取り割ってみると、中からはきらきらした豆が顔を覗かせていた。ハリのある豆の肌からは、丁寧に手を掛けて作られていることが伺える。
甘さ控えめのあんこがもっちりした皮に包まれていて、焼きたてのきんつばは、格別な美味しさ。はっきりと豆の歯ざわりが感じられた。

亀家
カメヤ
住所 | 別府市秋葉町7-36 |
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営業時間 | 9:00〜17:00 |
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休日 | 水曜 |
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電話番号 | 0977-27-8803 |
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駐車場 | なし |
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オススメ 商品 | 棒きんつば 120円 |
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