「書肆ゲンシシャ」と書かれたガラス扉をそっと開けると、店の奥から、ちょっと不思議な空気を持つ店主が現れた。スリッパに履き替えて、足元を見ると「別府 産婆」と書かれた古い木製の看板。大小合わせて3つのソファと、重厚な本棚に、数え切れないほどの本。
店主の藤井慎二さんは、この店に並ぶ本のすべてを選んだ目利きで、日本マンガ学会にも所属している。ゲンシシャは、藤井さんの淹れる紅茶を飲みながら、時間が経つのを忘れて古書談義が楽しめる、本好きにはたまらない空間だ。
店名のゲンシシャとは「幻視者」で、幻があたかも実在するかのように見えてしまう人のこと。この店は、4年に一度のうるう日、2016年2月29日にオープンした。かつての文豪が描いた幻覚の世界のように、ここを現代の「幻視者」が集う空間にしたいと考えたのが、名前の由来なのだそう。
別府で生まれ育ち、中学校から進学のため愛媛や東京で暮らしたという藤井さん。少年時代は近くのスーパーで、お小遣いをはたいてカプセルトイを買い集めていたという。ここにあるたくさんの本や収蔵品の数々は、その当時からの収集癖の賜物だろう。「いつしか本を買うのが気持ちよくなっちゃって。レアな本やサイン入りの画集なんて、ぞくぞくしますよね」
18世紀の貴族のように、自分のコレクションを見せるためだけの贅沢な部屋を持ちたいと、お店を作ることを決心し、東京から別府に戻ってきた。看板のロゴは、別府に暮らす友人を介して知り合った映画の看板絵師の松尾さんに依頼した。大正時代に書かれた泉鏡花の幻想文学作品の装丁から拝借したフォントだという。
温かいカップを手に持ち、ふうと息を吐いて、店内をぐるりと見渡す。藤井さんいわく、今見えているだけで1000冊、裏の倉庫も合わせると3000冊以上の漫画や写真集が収められているのだとか。他にも、大正時代のからくり時計、戦後まもない頃のアルミ製ランドセル。まるで小さな博物館のように、点々と奇妙なものが陳列されている。明治時代の女性が写る白黒写真の一部に彩色をほどこした絵はがきや、世界の珍しい写真を目当てに、全国各地からお客さんが訪れるのだという。
「少女漫画が読みたいです」と告げると、藤井さんは本棚から次から次へとおすすめを差し出してくれる。どれも表紙には、くすぐったくなるような可愛い少女が描かれている。「旅にまつわる本が読みたいです」と告げると、今度は写真家が自身の新婚旅行を撮った1冊の写真集を手渡してくれた。
写真集の最後のページをめくる頃、「旅にまつわるものといえば」と、藤井さんがもう1つ見せてくれたのは、額におさめられた、明治33年発行の別府の地図だった。100年以上前も今と変わらず、観光客たちはこの地図を片手にまちを巡ったのだろうか。古地図に描かれた明治時代の別府の町なみの上に、ゲンシシャの名の通り、浴衣姿で闊歩する女性の幻を思い描いた。
ここで過ごす間は、藤井さんの豊富な知識に耳を傾けてもいいし、古書の装丁の美しさを手にとって眺めるのもいい、もちろん黙々と本の世界を堪能するのもいい。ここには、なんとも贅沢な時空が広がっている。
住所 | 別府市青山町7-58青山ビル101 |
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営業時間 | 12:00〜19:00 |
休日 | 水・木曜 |
電話番号 | 0977-85-7515 |
駐車場 | 1台 |
オススメ 商品 | 読書+紅茶1杯サービス 300円 |