カフェ「むすびの」前の坂を上っていくと、趣のある建物が見えてくる。「冨士屋ギャラリー一也百」は明治32年に建てられた別府で唯一の明治時代の建物で、平成8年まで「冨士屋旅館」として営業していた。

「むすびの」の建物は、診療所の後は「冨士屋旅館」の従業員さんの宿舎として使われ、「下の家」と呼ばれていたのだそう。「『むすびの』の前の駐車場には、昔は洋館風の大きな旅館が建っていて、今よりもっと狭い路地裏だったんです。今の様子からは想像できないくらいに」と語る安波さんは「冨士屋ギャラリー 一也百」の代表であり、「むすびの」の建物の持ち主でもある。
「冨士屋旅館」で生まれ育った安波さんは子どものころ、片脇に温泉が流れる石畳の路地を下り、下の家に遊びに行っていたのだとか。窓から見えた熱の湯の様子を聞くと、今と変わらない光景が目に浮かぶ。

 パーマ屋、お土産屋など、趣のある長屋が連なる奥、現在のむし湯の場所にあった元「冨士屋」本家の建物の最後の日。取り壊されて行く様子を見つめた安波さんは、「悲しくてしょうがなかった」と振り返る。現在の建物も、建物の老朽化に伴い暖簾を下ろした際に、取り壊される予定だった。「けれど、頼んでいた解体業者さんが来た当日、そのまま追い返しちゃったの」鉄輪という場所で過ごした記憶が、そうさせたのだろう。鉄輪の記憶を次世代に伝えたいという思いで再生工事を決意し、「冨士屋ギャラリー一也百」として蘇らせた。

 現在、冨士屋では、コンサートや展覧会などのイベントが開催されている。そこでは、音楽や作品を通じて訪れた人が交流を深め、終わればみんなそれぞれの家へ帰って行く。「同じなんです、旅館のときと。旅人も訪れて、交流し、やがて去って行く。昔から、ここではそういう場所だったんですよね」。先日、小学生だったころに、おじいちゃんとおばあちゃんに連れられて、毎夏2週間程過ごしていたという人が訪れたのだとか。従業員さんと一緒にラジオ体操をしたり、お店に行ったり、50年前に鉄輪で過ごした楽しい夏休みの思い出話を聞かせてくれたという。
訪れた場所で過ごした記憶は、どれだけ時がたっても、その人の中では鮮明に生き続けるのかもしれない。その場所に、いつか再び訪れるために。
 安波さんに見送られ、庭先に佇む樹齢200年のウスギモクセイを見上げる。香り高い花を咲かせる秋が、今年ももうすぐ訪れる。

