別府駅前通りに面した、市内唯一の映画館があるブルーバード会館の2階に、その喫茶店はある。小さな看板にうっかり見落としそうな入り口。階段を上り、自動ドアが開くと、表通りの喧騒が一変して、落ち着いた空間が広がる。手前に、細長いスペースのカウンター席が見え、レンガ壁を隔て、奥にテーブル席の並ぶ広いスペースがある。
「いらっしゃいませ。コーヒーかココアしかありませんが、よろしいですか?」。そう言って、迎えてくれるのはマスターの中村 光さん。初めてのお客さんには、この一言がこの店の決まり文句だ。
コーヒーかココアか、カウンターかテーブル席か、入店してすぐに迫るこの二択は意外と侮れない。
カウンター席では常連さんたちがお喋りとコーヒーを楽しんでいるようで心惹かれるし、広々としたテーブル席で静かに過ごすのも良さそうだ。
「コーヒーをください」。中村さんの手元から立ち上るやわらかな湯気に誘われ、カウンター席に座ることにした。隣に座った友人はココアを頼んだ。
椅子の高さのせいなのか、カウンター席というのは気持ちまで少し背伸びしたような気分になる。常連さんと中村さんが交わす何気ない会話も、落ち着いた大人の会話のように聞こえる。別府で生まれ育ち、昭和30年代からこの店のマスターとして町の移ろいを見てきた中村さんは博識だ。店内にはピアノやオーディオ機材もあり、音楽にも造詣が深い。また、町の発展に勤しんできた仲間たちも常連客として多く通っている。この店のカウンターに座れば、別府の歴史や音楽のことなど、いろんな話を聞くことができる。何より常連さんたちがいる喫茶店というのは心地良い空間である証拠。何より、その空間を共有させてもらえることがうれしい。
中村さんがカップにコーヒーを注ぎ始めると、自然にお喋りが止まり、その手元に視線が惹きつけられた。目の前へと静かに置かれたコーヒーは、どことなく上品さが漂っている。
「こんなにお客さんが多いのは珍しいんですよ」と中村さん。次々に訪れるお客さんに対応しながら、小さな片手鍋の中でココアを作り始めた。泡立て器で手早く、しかし丁寧にかき混ぜる手つきは思わず見惚れてしまう。
いつもはコーヒーを頼むという常連さんも見入ってしまい、「次はココアも飲んでみたいな」と呟いた。
カウンター席の背面には、丸や四角を組み合わせて描かれた抽象画が飾られている。その絵について訊ねると、「日田市出身の宇治山 哲平さんという方の作品なんですよ」と教えてくれた。晩年を別府で過ごしたという宇治山氏は、この店にもよく来ていたのだそうだ。中村さんは、当時ご友人が所有していた宇治山氏のある絵に惚れ込み、購入したという。「それをここに飾っていたんですが、訳あって手放してしまいました。その絵は、大変だった時期に大きな励みになってくれたんですよ。だから、全く同じものではないけれど、今もこうして宇治山さんの複製画を飾っているんです」。どうしてお客さんの背中に向けて飾っているのかと不思議に思っていたけれど、話を聞くうちに、その絵がカウンターの中村さんの真正面にあるということに気づいた。穏やかな中村さんの眼差しのなかに、この絵とともに多くの困難を乗り越えてきた強さをじんわりと感じた。
そんな中村さんと、カウンター席でお喋りするのもいい。テーブル席で読書もいい。コーヒーでもココアでも。
『なかむら珈琲店』では、二択のどちらを選んでもこの場所でしか得られない時間が待っている。その時の自分に耳を傾けて、自由な二択はいつも豊かである。
住所 | 別府市北浜1丁目2-12 |
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営業時間 | 11:00〜18:00 |
休日 | 水曜 |
電話番号 | 0977-23-1272 |
駐車場 | なし |
オススメ 商品 | コーヒー 450円 ココア 500円 ※税込価格 |